並河靖之とは?明治七宝伝説の作家・歴史・特徴・本・作品販売場所を紹介
並河靖之と聞いてあなたは、どれだけ知っていますか?
この名を耳にしたことがあるかもしれませんが、並河靖之の作品の全貌や彼が残した足跡について詳しく知る人は少ないかもしれません。
「並河靖之ってどんな作家なの?」
「並河靖之の歴史を教えてほしい!」
「並河靖之の有名作品や作品の特徴ってどんなものがある?」
「並河靖之の作品を販売している場所は?」
並河靖之の人物像から手掛けた作品の数々も含め、余すことなく解説していきます。
この記事では、並河靖之の人生、作品、歴史を解説し、彼の作品の価格相場、彼に関連する本・書籍、そして彼の展示会情報などを深堀りします。
記事を読むことで、あなたは並河靖之の芸術的な才能と影響力を理解し、彼の作品にどう接すれば良いかを学ぶことができます。
そして、あなたが美術品を購入する際の判断基準にもなり、また、日本の美術や文化を深く理解するための新たな視点を提供します。
それでは、一緒に並河靖之の世界を探求していきましょう。
並河靖之とは
並河靖之は明治時代に七宝作家として活躍した職人になります。
明治時代、日本の伝統工芸界に革命を起こした並河靖之は、七宝職人として今でも語り継がれている存在の一人です。
並河靖之の作品は、洗練された技法と鮮やかな色彩で、世界中の芸術愛好家を魅了してきました。
明治時代の日本工芸の中でも特に評価が高く、現在でも高い価格で取引されています。
今では七宝作りの基本である、帯状の銀線を使い、色の境目を区切る方法の「有線七宝」を考案しました。
他にも黒色透明釉の発明や金・銀線を用いた表現で細やかな色彩表現による日本画的な作風を作り、無線七宝の濤川惣助と共に明治七宝界を代表する作家です。
並河靖之の歴史・年表
年代 | 主な出来事 |
1845年 | 川越藩家臣・高岡九郎左衛門の三男として京都に生まれる。 |
1855年 | 11歳のとき、親戚の並河家の養子となって家督を継ぎ、青蓮院宮(のちの久邇宮)近侍となる。 |
1873年 | 宮家に仕える傍ら七宝業に取り組むようになり、国内外の博覧会に作品を出品。数々の受賞を果たす。 |
1874年 | 桃井英升を招き、尾張七宝の技術指導を受けます。 |
1875年 | 第4回京都博覧会にて花瓶の七宝焼きを出品し、有功銅賞を受賞します。 |
1876年 | フィラデルフィア万国博覧会 銅賞を受賞。 |
1877年 | 第1回内国勧業博覧会 鳳紋賞牌受賞。 |
1878年 | 東京で七宝釉薬の改良を指導していたドイツのワグネルが京都の舎密局に着任。 並河はパリの万国博覧会に銀製七宝茶入を出品し、銀賞を受賞します。 この年に青蓮宮侍臣を辞め、七宝業に専念します。 並河の有線七宝は殖産興業の波に乗り、久邇宮家従を辞して、七宝製造業に専念する。 一時期事業が低迷するも、釉薬を改良し金属線を金銀に換え、透明感のある艶やかな黒地に、 絵筆のような繊細な植線づかいで華麗な花鳥風月の世界を描き出し、七宝を極めていきます。 |
1881年 | 第2回内国勧業博覧会 入賞。 |
1883年 | アムステルダム植民地産物及び一般輸出品万国博覧会 銀賞受賞。 |
1885年 | ロンドン万国発明品博覧会に出品して銅賞受賞。 ニュールンベルク金工万国博覧会に出品し銀賞・紀念賞受賞。 ニューオリンズ万国博覧会に出品して一等金賞を受賞。 |
1888年 | バルセロナ万国博覧会 銀賞受賞。 |
1889年 | 日本美術協会会員となり、パリ万国博覧会に出品し、金賞を受賞します。 |
1890年 | 京都美術協会を発足し、評議員となります。第3回内国勧業博覧会に鳳凰唐草紋七宝花瓶を出品し、 妙技一等賞を受賞します。 |
1892年 | 京都市美術工芸品展覧会 金牌の功労賞受賞。 |
1893年 | 緑綬褒章を受章。 シカゴコロンブス万国博覧会 銅牌受賞。 |
1894年 | 並河邸(個人邸宅兼工房)竣工。 |
1895年 | 第4回内国勧業博覧会 妙技一等賞受賞。 |
1896年 | 帝室技芸員となり、工芸家としての地位を確固たるものとした。大正期に入り、 七宝業の衰退とともに工房を閉鎖。 |
1900年 | パリ万国博覧会 金賞受賞。 |
1903年 | 第5回内国勧業博覧会に金線七宝竹図花瓶を出品し、二等賞を受賞。 |
1904年 | 第5回内国勧業博覧会 二等賞受賞。 |
1910年 | ロンドンの日英博覧会 金牌受賞。 |
1923年 | 七宝工房を閉鎖します。 |
1927年 | 病気のため5月24日に 83年間の生涯を終える |
並河靖之は、83年間の生涯を七宝の作品つくりに心血を注いだ人生になります。
並河靖之の七宝作家として活躍するまで
並河靖之は久邇宮朝彦親王に仕えた後、明治維新後に七宝業に取り組み始めます。知識や資材の無い中で試行錯誤しながら技術を学びます。そして明治6年、並河靖之の第1号作品【七宝鳳凰文食籠】を完成させます。
当時の七宝は、艶のない釉薬「泥七宝」と呼ばれるものが主流でした。
尾張七宝の方が釉薬の改良が先に進んでおり、内国勧業博覧会で透明釉(ガラス質の透き通った艶のある釉薬)で製作された尾張七宝を見た並河靖之は強い衝撃を受けます。
すぐに並河靖之は下絵師の中原哲泉、ワグネルらと共に研究を進めます。
その努力の成果もあり最終的には他のどの七宝工房よりも釉薬の色の種類が多く、特に黒の透明釉薬「黒色透明釉」は評価が高く、現代では「並河ブラック」とも呼ばれております。
並河靖之は国内外の博覧会などで多数の賞を受賞し、七宝作家としての成功を収めます。並河工房には外国から文化人が多数訪れ、『京都並河』ブランドは新聞や雑誌を通して外国へと紹介されました。
明治29年(1896)には帝室技芸員となり、一流の七宝作家としての地位を確立されました。
並河靖之|4つの時代のそれぞれの作風
並河靖之の作品は【初期(第一期)】【第二期】【第三期】【晩年(第四期)】の四つに分類されます。それぞれの特徴を解説していきます。
初期(第一期) |(1873〜1880)
初期の中でも最初期の作品は艶の無い釉薬【泥七宝】で製作されております。
初期の中頃からは釉薬の開発が進み、艶のある透明釉薬を使った作品が見られます。初期作品の特徴としては作品の全体に植線を立て全面に図柄や紋様を施した作品が多く見られます。
植線は最初期には主に真鍮線を使っておりますが初期の途中からは銀線、金メッキ線を使った作品も見受けられます。図柄には鳳凰や龍などの古代図を用いた作品が多く見られます。
第二期 |(1880〜1890)
釉薬の開発が更に進み、使える釉薬の色が格段に増えます。この時期には真鍮線は見られず、完全に植線は銀線、金メッキ線を使うようになります。初期同様に全体に植線を立て図柄は多いのですが製作技術も高くなっており初期よりも緻密になっていきます。
第三期 |(1890〜1900)
この時期から使用する植線は銀線と金線(金メッキ線ではなく本金線)になります。
今まで図柄や紋様の部分のみに使っていた「黒色透明釉」が背景にも使和れるようになり「並河ブラック」の作品が多く見られるようになります。(稀ですが初期、第二期でも黒色透明釉を背景に使った作品は見られます。)
第三期になると今まで紋様的な図柄が写実的な図柄に変わります。それによって空白も生まれ、品のある空白の美が表現された作品が見られます。
製作技術は更に上がっており、1本の植線で太さを変えるなど筆で描いたように見せる技も見られるようになります。
第四期(晩年) |(1900〜1923)
晩年期には更に空白の多い作品が見られますが有線七宝の技術は高く、第三期同様に筆で描く水墨画のように表現されております。
晩年期は更に多色の釉薬が使えるようになり、今までになかったクリーム色,白,紫,黄緑,ピンクなどの素地の作品も見られるようになります。
並河靖之が作る七宝(七宝焼)の作品の特徴
並河靖之の作品は、彼の七宝の技法と華やかな色使いによって一世を風靡しました。彼の作品には、彫金や象嵌などの技法が取り入れられていて、自然や風景、人々の生活を描くことが多いです。
並河靖之の作品の特徴として以下の3つがあります。
特徴①:色彩の豊かさ
並河靖之の作品は、彼の使う鮮やかな色彩が特徴的です。これは七宝に多く見られる特性ではありますが、彼の作品ではそれがさらに顕著で、観る者の目を引く力があります。
特徴②:緻密な細工
並河靖之の作品のすぐれた特徴として、緻密な細工が挙げられます。それぞれの作品は、細部に至るまで手間暇をかけて作られており、その技術力は他の追随を許しません。
特徴③:自然主義的なデザイン
並河靖之の作品にはよく自然の要素が含まれています。花、鳥、風景など、自然からインスピレーションを得て作られた作品が多く、それが彼の作品に深みと生命感を与えています。
以下で並河靖之の七宝の作品について詳しく解説していますので、ぜひ参考にしてみてください。
並河靖之の作品の価格や相場
並河靖之の作品は、その芸術性と希少性から、非常に高い価格で取引されています。一部の作品はオークションで数百万円、数千万円の価格が付けられることもあります。
ただし、価格は作品の状態、大きさ、主題など様々な要素により異なります。また、偽物や模倣品にも注意が必要です。本物の並河靖之の作品を手に入れるためには、信頼性の高い美術店を利用することをおすすめします。
並河靖之七宝記念館とは
有名七宝作家の並河靖之の生涯と作品を紹介するために設立された「並河靖之七宝記念館」は、彼の出身地である京都府にあります。
自宅兼工場として利用していた家屋を記念館として公開しております。
並河靖之七宝記念館では生涯を辿ることができるだけでなく、彼の代表作を見ることもできます。
そして、七宝の研磨用に使うために琵琶湖の疏水(そすい)から引き込んでおりました。その琵琶湖疏水(そすい)を利用した庭園が美しく、有名な観光地にもなっております。
またイベントなども定期的に行っており、並河靖之の技法を学び、体験するワークショップも開催されています。
これは七宝に興味がある人、特に靖之の作品が好きな人にとって、貴重な機会となっています。
以下の記事で並河靖之七宝記念館について解説しておりますのでぜひ、読んでみてください。
並河靖之に関連する本・書籍の紹介
並河靖之七宝展 明治七宝の誘惑ー透明なくろの感性
本書では、並河靖之の作品を多く取り上げており、その背景にある時代の様子を深く掘り下げています。彼がどのようにして名匠となり、その作品がどのように評価されてきたのかを理解するのに最適な一冊です。
近代工芸の華 明治の七宝ー世界を魅了した技と美
この本では、明治時代の七宝全般について詳しく説明されています。並河靖之の作品はもちろん、他の七宝職人の作品についても触れられており、その時代の工芸界をより広範に理解するのに役立ちます。
京七宝 並河靖之作品集ー清水三年坂美術館コレクション
こちらの本は並河靖之の作品集で、彼の七宝の美しさと技術を堪能することができます。彼の作品がどのように進化してきたのか、また彼の七宝が他の七宝職人と何が違うのかを理解するのに便利です。
ライバルと言われた濤川惣助との関係は?
並河靖之と同時期に活躍した七宝職人、濤川惣助(なみかわそうすけ)は、しばしば並河靖之のライバルとして語られます。
濤川惣助は無線七宝という革新的な技法を採用し、七宝作りに励んでいました。
無線七宝は釉薬を焼き付ける前の段階で敢えて植線を取り外し、微妙な色彩のグラデーションが生まれ、写実的で立体感のある表現や軟らかな表現を生み出すことができる技法になります。
並河靖之と濤川惣助の両者ともに七宝の名匠としてその名を馳せ、彼らの異なるスタイルと技術は明治の七宝界を牽引しました。
彼らが互いに競い合い、また尊敬し合うことで、七宝の芸術はさらに進化し、現在に至っています。
並河靖之の作品が鑑賞できる美術館
- 並河靖之七宝記念館
- 清水三年坂美術館
- 京都国立近代美術館
- 東京国立博物館
- V&A美術館(イギリス)
(時期や展覧会などにより展示されていない場合もございます。)
並河靖之の作品は、国内外の様々な美術館やギャラリーで展示されることがあります。
並河靖之の世界観を深く理解するのに格好の機会です。
展示会情報は、美術館やギャラリーの公式ウェブサイト、または各種アート情報サイトで確認することができます。また、「並河靖之七宝記念館」のウェブサイトも定期的にチェックすると良いでしょう。
並河靖之七宝記念館の公式サイトはこちらになります。
FAQ
並河靖之の国際的評価ってどんなものだったのか?
並河靖之は、国内だけでなく国際的にも非常に高い評価を受けています。
並河靖之の作品はパリ万国博覧会やシカゴ万国博覧会など、海外の展覧会で何度も受賞しています。西洋の美術愛好家にも深く愛され、日本工芸の洗練と美しさを世界に広めました。
以下の記事で並河靖之の国際的評価について解説しておりますので、ぜひ読んでみてください。
並河靖之の代表作はどういう作品ですか?
並河靖之の作品の中でも特に有名なものとして、「七宝 四季花鳥図 花瓶」があります。
この作品は、明治天皇の御下命により、1900年のパリ万国博覧会の出品用作品として制作されました。パリ万国博覧会では金牌を受賞しており、現在では並河靖之の代表作として【三の丸尚蔵館】に所蔵されています。
黒色透明釉の背景に豪華に全て金線で花鳥図が描かれております。金線の太さを変えて筆で描いたように見せています。
代表作に相応しい豪華で技術が詰められた素晴らしい作品です。
以下の記事で並河靖之の代表的作品について解説しておりますので、ぜひ読んでみてください。
並河靖之の作品が販売・鑑賞できる「銀座真生堂」
国内外の美術館に所蔵されているほどの名工、並河靖之の作品は、当然ながら市場にほとんど出回ることがございません。
銀座真生堂では美術館や海外コレクター,海外ディーラーとの関係を深め、独自のルートを作ってきました。
その甲斐あって銀座真生堂では唯一の明治期の七宝専門店として常時、並河靖之の作品を保有できております。美術館などでガラス越しにしか見ることが出来なかった並河靖之の作品を実際にお手に取って鑑賞、ご購入出来る唯一のギャラリーとなっております。
また銀座真生堂では所有している作品を美術館での展覧会などへ貸出すなど文化活動も行なっております。
(銀座真生堂 ギャラリー)
まとめ
いかがでしたか?
今回は、七宝作家の並河靖之について解説いたしました。
並河靖之は、その卓越した技術と独自の美意識で、明治時代の七宝界をリードしました。並河靖之の作品は今もなお世界中で愛され、彼の名は七宝の歴史に深く刻まれています。
作品を見ることで、私たちは日本工芸の美しさと深みを再発見することができるでしょう。
また並河靖之の人生や作品には、多くの物語や考察がなどの興味深いエピソードがあります。是非、実際に並河靖之七宝記念館を訪れたり、並河靖之に関する書籍を読んでみたりして、彼の世界をより深く感じてみてください。
そして、並河靖之の作品を直接見ることで、その美しさや細工の精巧さを肌で感じることができます。
直接、並河靖之の作品をご覧になりたい方はぜひ当店、銀座真生堂へお越しください。