七宝(七宝焼)

【並河靖之の七宝(七宝焼)作品を解説】代表作・特徴・変化を紹介

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明治時代の七宝界に一世を風靡した並河靖之、しかし彼の作品やその変化、そしてライバルであった濤川惣助との関係を詳しく知る方は少ないのではないでしょうか。

「並河靖之ってどんな人?」
「並河靖之の作品の特徴とは?」
「並河靖之の代表作は?」
「並河靖之と濤川惣助との関係は?」

この記事を読んでいる方は、並河靖之に関する疑問が多くあることでしょう。

この記事では、並河靖之の人物像、彼の代表作や作品の特徴、作風の変化を深堀りします。

そして、七宝に対する理解を深めるだけでなく、その背景にある明治時代の芸術界の動向もつかむことができるでしょう。

この記事を読むことで、芸術作品をただ見るだけでなく、その背後にあるストーリーや時代背景を理解でき、作品への理解がより深まりますので、ぜひ読んでみてください。

それでは、参ります。

並河靖之とは

並河靖之

明治時代の七宝の職人として名高い並河靖之。

並河靖之は日本の七宝技術を極めた一人であり、その作品は現代に至るまで非常に高い評価を受けています。

生涯を通じて緻密で色彩豊かな作品を創り出した靖之は、その圧倒的な技術力と芸術性で世界的に認知される存在となりました。

並河靖之に関しての情報は、こちらの記事で詳しく解説しておりますので、ぜひ読んでみてください。

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並河靖之の代表作

並河靖之の作品の中でも特に有名なものとして、「七宝 四季花鳥図 花瓶」があります。

この作品は、明治天皇の御下命により、1900年のパリ万国博覧会の出品用作品として制作されました。パリ万国博覧会では金牌を受賞しており、現在では並河靖之の代表作として【三の丸尚蔵館】に所蔵されています。

黒色透明釉の背景に豪華に全て金線で花鳥図が描かれております。金線の太さを変えて筆で描いたように見せています。

代表作に相応しい豪華で技術が詰められた素晴らしい作品です。

並河靖之の作品の特徴

並河靖之の作品は、彼の七宝の技法と華やかな色使いによって一世を風靡しました。

並河靖之の作品には、彫金や象嵌などの技法が取り入れられていて、自然や風景、人々の生活を描くことが多いです。

並河靖之の作品の特徴は、主に3つあります。

特徴①:色彩の豊かさ

並河靖之の作品は、彼の使う鮮やかな色彩が特徴的です。これは七宝に多く見られる特性ではありますが、彼の作品ではそれがさらに顕著で、観る者の目を引く力があります。

特徴②:緻密な細工

並河靖之の作品のすぐれた特徴として、緻密な細工が挙げられます。それぞれの作品は、細部に至るまで手間暇をかけて作られており、その技術力は他の追随を許しません。

特徴③:自然主義的なデザイン

並河靖之の作品にはよく自然の要素が含まれています。花、鳥、風景など、自然からインスピレーションを得て作られた作品が多く、それが彼の作品に深みと生命感を与えています。

並河靖之の作品の変化

並河靖之の作品は、彼の生涯を通じて幾度となく変化してきました。

初期の作品は、伝統的な七宝の手法を活かした作品が多く、その後、次第に独自の色彩感やデザインを追求するようになります。

後期の作品では、より大胆な色彩と自由な形状を用いた作品が増え、彼自身の芸術観が色濃く表現されています。

並河靖之は中原哲泉らとともに有線七宝を極めました。
有線七宝とは、金属の胎(ボディ)に文様の輪郭線として金や銀の線をテープ状に貼りつけ、線の間に釉薬をさして焼成・研磨を繰り返す技法のことです。

パリやシカゴ、ロンドン、バルセロナの博覧会や内国勧業博覧会に出品した壺や花瓶などの作品は、金賞を含む多数の賞を受賞しており、国内外を問わず高い評価を受けています。

並河の七宝は、京都舎密局におけるドイツ人科学者のワグネルとの出会いや、自ら開発した黒色透明釉薬などによって作風が変化していきます。

1873~1878年 初期の作品

並河の初期の壺には、明治初期の京七宝の特徴である渦巻などの文様が全面に施されていました。明治10年ごろには、京都舎密局でのゴットフリート・ワグネルとの出会いをきっかけに並河の七宝の作風が大きく変化していきます。

ワグネルは破格の給料で京都府知事に雇われ、陶磁器や七宝、ガラスの製法に関する講義や内国勧業博覧会の指導全般を行っていました。

1878~1895年 第二期の作品

ワグネルは「京都の七宝は、世界の博覧会では通用しない」という厳しい評価のうえで指導を行っていました。このころの並河の作品は、公家文化を反映した龍や鳳凰、花や鳥などの伝統的な図柄を、細かい巻軸模様で囲むような表現を多く取り入れていました。壺の周りや足周りに複雑な縁取りを施しており、並河家の家紋だった蝶のモチーフも多くなっていきます。

1895~1903年 第三期の作品

第三期になり、独自の研究で、すで開発されていた、「並河の黒」と呼ばれる漆黒の透明釉薬を背景に使った、作品が増えていきます。壺や花瓶の背景を黒に染めることで図案の色彩が際立ち、グラデーションや色彩豊かな表現が可能になりました。

透明感のある黒を表現することができたのは並河靖之だけだといわれています。

過去の作品に取り入れていた巻軸模様は少なくなり、蝶や草花の図柄が大きく繊細に描かれるようになりました。そして並河は国内・海外のさまざまな博覧会で賞を獲得していくのです。

1903~1923年 晩期の作品

晩年の並河の七宝は、壺や皿の背景に緑色や白色など、黒色以外の色も使うようになり、最盛期に比べると施す線の量が少なくなっていきます。

墨で描いたようなぼかしや植線によって、水墨画のような表現も見受けられるようになります。1900年代には、他の七宝家は透胎七宝や省胎七宝など、有線七宝以外のこれまでに無かった技法に関心を示しますが、並河は引退するまで有線七宝を極めることにこだわり続けました。

さまざまな影響や独自の研究を経て、有線七宝を追求し続けた並河の作品は、多様な色彩と深く透き通った艶が特徴です。

並河靖之と濤川惣助の関係「二人のナミカワ」

並河靖之は色彩と細部の表現に優れ、一方の濤川惣助は形状や構造に焦点を当てた作品が特徴で、互いに違った美学を追求していました。

独自の研究で黒色透明釉薬を開発した並河靖之は、綿密な植線と優れた色彩感覚で有線七宝を極めました。

濤川惣助は同時期に、無線七宝というガラス釉を埋め、境界を引いた線を取って焼き付ける技法を確立しました。無線七宝は隣同士の色が混ざり合うことで、柔らかい風合いを表現できることが特徴です。

同じ時期に並河靖之は京都を中心に、濤川惣助は東京を中心に活動したことから「西の並河」「東の濤川」と呼ばれ、「二人のナミカワ」と称されていました。

二人とも日本の伝統工芸の技術を帝室(皇室)の保護のもと継承・発展させることを目的として制定された、最高級の栄誉である帝室技芸員に認定されています。

背景の黒に、鮮やかな色彩のグラデーションをはっきり表現する並河靖之と、オリジナルの技法で濃淡やぼかしなどの筆で描いたような、柔らかい表現を得意とする濤川惣助。

彼らはライバル関係だけでなく、深い敬意と友情で結ばれていました。両者の交流は、明治時代の七宝界における一大エピソードとして語り継がれています。お互いの作品を高く評価しあい、それぞれの技術や表現を尊重しながらも、切磋琢磨の精神で互いを高めあっていました。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回の記事で並河靖之の作品に関する情報をまとめました。

並河靖之は、七宝の大家として明治時代からその名を馳せ、その豊かな色彩と緻密な細工で世界中の人々を魅了しました。

彼の作品は、色彩と自然をテーマにした作品が多く、その中には春景色花瓶などの代表作も存在します。

並河靖之の芸術観の変化を反映し、その独自の美学は濤川惣助というライバルとも深く結びついています。二人は互いに高め合い、明治七宝の世界を豊かにしました。

その明治七宝の魅力が今なお語り継がれ、並河靖之の作品は希少性の高い作品のとして世界中から愛されています。

並河靖之の作品をご覧になりたい方は、ぜひ以下のボタンから銀座真生堂までご連絡ください。

執筆者
銀座真生堂
銀座真生堂
メディア編集部
七宝焼・浮世絵をメインに古美術品から現代アートまで取り扱っております。 どんな作品でも取り扱うのではなく私の目で厳選した美しく、質の高い美術品のみを展示販売しております。 このメディアで、美術品の深みや知識を発信していきます。
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