明治工芸

超絶技巧品と呼ばれる金工とは?魅力や代表的な金工品、作り方まで解説

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「金工って聞いたことはあるけど、詳しくは知らない」
「金工がどうやって発展してきたのか知りたい」

国を代表する伝統工芸品として知られる「金工」。日本では弥生時代から金工品が作られるようになり、現代に至るまで人々の生活に深く関わってきました。

特に、明治時代に作られた金工は「超絶技巧」とも呼ばれています。海外からも高く評価されており、世界でも類を見ない日本独自の完成された美術品です。

しかし、中には「金工」という言葉は聞いたことがあっても、どんなものなのか詳しくは知らないという方も多いでしょう。

そこで本記事では、金工の歴史や魅力、代表的な作品など、金工について詳しく解説していきます。金工について興味がある方は、ぜひ参考にしてください。

金工とは

金工とは、金や銀、銅、鉄などの金属を加工する技術のことです。また、金工の技術を用いて作られる工芸品のことを「金工品」といいます。

金属を叩いたり、溶かしたりした後、模様をつけていく工程を経てひとつの美術品として完成します。日本各地でさまざまな金工品が作られており、伝統工芸品にも指定されている越後三條刃物や高岡銅器、南部鉄器などが有名です。

明治時代には、超絶技巧品として海外から高く評価され、日本が「美術工芸の国」として認知されるきっかけとなりました。

金工の歴史

日本に金属とその加工技術がもたらされたのは、弥生時代初期のことです。稲作の開始とともに中国大陸・朝鮮半島から鉄や青銅の製法が伝わったことがきっかけとされています。

奈良時代になると朝鮮半島から仏教が伝わり、中国や朝鮮の技術者が多く渡来したことで日本各地で金工品が発展するようになりました。また、安土桃山時代には金属工芸の産業化や量産化が進み、金工技術はさらに進歩していきます。

中でも、金工が最も発展したのは明治時代です。幕末に最高潮を迎えた金工技術が、文明開花の明治時代に美術工芸として開花することになります。明治時代の金工は「超絶技巧」と呼ばれ、ヨーロッパを中心に高い評価を得ました。

金工の歴史について詳しく知りたい方は、下の記事をあわせてご覧ください。

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金工の魅力

金工の魅力は、どの時代に作られた作品なのかによって変わります。例えば、明治時代に作られた「超絶技巧」と呼ばれる金工は、現代では不可能とされる繊細かつ緻密なデザインが魅力です。

金や銀を使って装飾を行い、華やかなで美しいデザインを表現しています。明治時代の金工は、使用目的ではなく、観賞用として用いられるのが一般的です。

その技術の高さは、一目見るだけで感じることができます。

代表的な金工品:高岡銅器(たかおかどうき)

ここでは、数ある金工品の中でも特に有名な高岡銅器(たかおかどうき)を紹介します。

高岡銅器は、富山県高岡市で作られている銅製の金工品です。江戸時代に誕生したとされており、室内置物や仏具、仏像、銅像など様々な物があります。

高岡銅器の特徴は、熟練の職人の手業を駆使した鋳造技術と、研磨や彫金、象嵌といった加工技術が施されていることです。多くの技術が融合したことで、力強さと繊細さが巧みに表現されています。

また、日本初の伝統工芸品に指定されたのが高岡銅器です。明治時代には万博博覧会に多く出品され、ジャポニズムを巻き起こすきっかけとなりました。

金工の作り方

ここからは、金工の作り方を紹介します。一般的に金工技術としては次の3つが代表的です。

それぞれ詳しく解説するため、ぜひ参考にしてください。

鋳金(ちゅうきん)

鋳金とは、溶かした金属を型に流し込み、製品の形を作る技法のことです。一般的に仏像や銅像、寺社の梵鐘を作る技法として使われていました。

また、ひとつの原型から型を複数取って量産できるため、工業製品のパーツやジュエリーの製作にも使われています。南部鉄器は鋳金によって製作されています。

鍛金(たんきん)

鍛金は、金属の板を金槌や木槌で叩いて加工する技法のことです。刀のような刃物を作る際に使用される技法になります。

金属の板材を当て金と呼ばれる鉄の棒に当て、叩いて絞ることによって成形していきます。金属は叩くことで強度が高くなる性質があるため、丈夫な製品を作ることが可能です。

彫金(ちょうきん)

彫金は、鏨(たがね)と呼ばれる鋼鉄製の工具を用いて、金属の表面に模様を彫っていく技法のことです。鏨にはさまざまな種類があり、使い分けることで彫りや透かし、打ち出しといったさらに細かい技法に分類されます。

また、彫った模様に金属を埋め込む「象嵌(ぞうがん)」といった技法もあります。刀の鍔(つば)や、アクセサリー、仏具の製作などに活用されていた技法です。

代表的な3人の金工家

ここでは、金工を語る上で欠かせない代表的な3人の金工家を紹介します。

それぞれの金工家について以下で詳しく解説していきます。

正阿弥勝義(しょうあみかつよし)

正阿弥勝義は、明治時代を代表する金工家です。彫金師であった父から彫金を学び、香炉や花瓶、茶器などの美術工芸品を製作していました。

正阿弥勝義の作品は、高い写実性と精緻な彫金を施した作風が特徴的です。金属による色彩の豊かさも魅力のひとつであり、ウィーン万博では出品した金工品が高く評価されています。

代表作には、シカゴ万博で銅賞を受賞した『雪中南天樹鵯図額』や、写実的な菊花と雄鶏の彫刻を施した『群鶏図香炉』などがあります。

加納夏雄(かのうなつお)

加納夏雄は、幕末から明治にかけて活躍した金工家です。12歳の頃に金工を学び始め、19歳で独立して技術を磨いた後、27歳で江戸に渡ります。

江戸に移ると、新貨幣鋳造計画に参画したり、帝室御用達となって明治天皇の太刀の装具を彫刻したりなど多くの活躍をします。加納夏雄の作品は、鏨を斜めに打ち込んで描く独特な片切り彫りが特徴的です。

代表作には、片切り彫りを用いた『百鶴図花瓶』や、銀時計に芍薬の花を表現した『芍薬図懐中時計蓋』などがあります。

海野勝珉(うんのしょうみん)

海野勝珉は、加納夏雄と同様に幕末から明治にかけて活躍した金工家です。水戸藩士であった叔父や金工荻谷勝平から彫金を学び、1876年に東京で独立しました。

象嵌や片切り彫りを得意としており、立体的な表現を取り入れた作品を多く作っています。1896年には、皇室の工芸品を制作したり、博物館総長の諮問に応じたりする任務を与えられた栄誉職・帝室技芸員に任命されました。

代表作には『蘭陵王』や1900年のパリ万博で出品された『太平楽置物』があります。

金工品の保管方法

金工品の保管方法は、作品によって異なります。例えば、明治時代に作られた「超絶技巧」と呼ばれている観賞用の金工品に関しては、実用の金工品と保管方法が異なります。

汚れが気になった際には、実用の金工品は水洗いしても問題ありませんが、観賞用の金工品は水洗いしないのが基本です。そのため、柔らかい布でほこりを落とす程度にしましょう。

しかし、実用のものでも水洗いが推奨されない作品もあります。そのため、購入する際に保管方法を一緒に聞いておくことをおすすめします。

銀座真生堂では明治工芸品を取り扱っております

銀座真生堂では、金工と同じ国を代表する伝統工芸品のひとつである「七宝焼」を取り扱っております。七宝焼は美しい模様や色彩が表現された、現代の技術では再現できないとされる超絶技巧品です。

銀座真生堂は、唯一の明治期の七宝焼専門店として常時、並河靖之、濤川惣助など名工の作品を保有できています。美術館などでガラス越しにしか見ることが出来なかった並河靖之、濤川惣助の作品を実際にお手に取って鑑賞、ご購入出来る唯一のギャラリーです。

また、銀座真生堂では所有している作品を美術館での展覧会などへ貸出すなど文化活動も行なっております。ご興味のある方は、気軽にお問い合わせください。

まとめ

本記事では、金工の歴史や魅力、代表的な作品など、金工について詳しく解説しました。金工は、現在でも広く使われている技術であり、人々の生活を豊かにしてくれるものです。

素材となる金属によって違った魅力があるため、興味のある方はぜひ手に入れてみましょう。また、日本には「七宝焼」のような国を代表する工芸品が他にもあります。

下の記事では明治工芸について詳しく解説しているため、興味のある方は参考にしてください。本記事があなたのお役に立てることを願っております。

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執筆者
銀座真生堂
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メディア編集部
七宝焼・浮世絵をメインに古美術品から現代アートまで取り扱っております。 どんな作品でも取り扱うのではなく私の目で厳選した美しく、質の高い美術品のみを展示販売しております。 このメディアで、美術品の深みや知識を発信していきます。
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