七宝(七宝焼)

安藤重兵衛とは? 明治時代の七宝

KukitaIsamu

この記事は、明治時代に輝いた安藤重兵衛に関する内容を記載しております。
国内外で現在も人気の安藤重兵衛の歴史に触れていきます。

安藤重兵衛 七宝商の始まり

安藤重兵衛は1876年(明治9年)名古屋に生まれました。家は江戸時代から続く煙管商でした。重兵衛の兄が当時人気の出始めた七宝作りに乗出しました。

重兵衛が20代半ばの頃、兄の後押しで、当時珍しかったイギリスへ留学します。留学の2年の期間で西洋の文化や美術工芸の知識を身に付けます。帰国後、兄の始めた七宝工房を任され、20人程いた職人を率いることになります。重兵衛は作品のアイデアやデザインを立案するプロデューサー的役割を担うようになりました。特に色彩へのこだわりはただならぬものだったと言われております。

様々な七宝の技法を全てチャレンジ

重兵衛は研究熱心でとにかく常にチャレンジされたことでも有名です。重兵衛は西洋のプリカジュールに感銘を受け省胎技法を生み出しました。他にも七宝の技法でいうと有線、無線、盛上、透胎、鎚起など様々な技法が存在しておりますが、重兵衛はその全ての技法の作品を制作しております。

独自のビジネススタイル

当時の七宝業界では、それぞれ自社で制作した作品のみを販売するというのが普通でしたが、重兵衛の場合は自社で制作した作品の他にも尾張の別の工房の作品を買い取って販売しました。また国内外の博覧会にも積極的に出品し、数々の賞を受賞しています。その後、尾張だけでなく銀座にも店を出し業容を拡大しました。

銀座真生堂は安藤重兵衛(安藤七宝店)の作品を取り扱っております

銀座真生堂では、安藤重兵衛(安藤七宝店)の七宝焼も取り扱っております。過去に扱った作品も無線や盛上など様々な技法を使い制作されたものでした。重兵衛(安藤七宝店)の作品はとてもユニークな印象がございます。当時、様々な技法を試し、業容も拡大していた為、どうしても他の工房よりも作品数は多いです。良い作品もあれば出来がいまいちな作品も当然存在します。銀座真生堂ではその中でも更に厳選した出来の良い作品のみを取り揃えております。

執筆者
銀座真生堂
銀座真生堂
メディア編集部
七宝焼・浮世絵をメインに古美術品から現代アートまで取り扱っております。 どんな作品でも取り扱うのではなく私の目で厳選した美しく、質の高い美術品のみを展示販売しております。 このメディアで、美術品の深みや知識を発信していきます。
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