七宝(七宝焼)

濤川惣助とは 明治時代に活躍した七宝作家

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この記事は、明治時代の七宝作家、濤川惣助に関する内容を記載しております。
当時、帝室技芸員に任命されており、国内外で現在も人気の作家の一人でございます。

濤川惣助とは

濤川惣助は、弘化4 (1847) 年、 下総国海上郡蛇園村(現千葉県旭市蛇園) の農家、浪川源左衛門の二男に生まれました。

元治元 (1864)年、江戸に出て商売を志し、いくつか仕事を経た後、 陶器商を営みます。

明治10 (1877) 年、東京上野で開催されていた第一回内国勧業博覧会の会場にて七宝焼を目にして衝撃を受けて以来、 七宝製造を志して尾張地方など七宝産地を回って研さんを重ねて七宝製造業に転じたと伝えられています。

同じ頃、 東京のアーレンス商会の七宝工場廃業を受けて同工場を譲り受け、 七宝を本格的に生産し始めました。

無線技法を発明

明治13 (1880)年頃、 従来の有線七宝の技術を発展させて図柄をより絵画的表現に近づけた【無線】技法を完成させました。
以降、各地の博覧会への出品、受賞を積み重ね、 明治22 (1889) 年のパリ万博で名誉大賞、
同24(1891)年の第三回内国勧業博覧会で名誉賞牌を受けました。

濤川惣助の代表作

明治26 (1893)年のアメリカ・シカゴ万博に出品した 「七宝富嶽図額」は、 七宝の絵画的表現を究めたものとして大きな反響を呼んだと伝えられています。(現在重要文化財に指定されています)

明治42(1909)年に東宮御所として建設された 「赤坂離宮」 (現在の迎賓館)の【花鳥の間】に鳥と花を主題とした画家、渡辺省亭原画による楕円形の七宝額絵30点と大型の額絵2点(合計32点)を制作しました。

七宝作家として帝室技芸員に任命

明治28 (1895)年には緑綬褒章を受章し、翌29 (1896)年には並河靖之とともに帝室技芸員に任ぜられました。

(【帝室技芸員】とは、1890年(明治23年)〜 1947年(昭和22年)の期間、宮内省によって運営されており、美術作家や工芸作家の顕彰制度です。日本の優秀な美術作家、工芸作家に帝室からの栄誉を与え、保護し、更に斯界の奨励、発展を図ろうとしました。)

銀座真生堂が取り扱った濤川惣助の作品

銀座真生堂では濤川惣助の作品を取り扱っております

銀座真生堂では、濤川惣助の七宝も取り扱っております。ギャラリーでは濤川惣助の作品など明治の七宝を展示しておりますので是非お問い合わせお待ちしております。

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銀座真生堂
銀座真生堂
メディア編集部
七宝焼・浮世絵をメインに古美術品から現代アートまで取り扱っております。 どんな作品でも取り扱うのではなく私の目で厳選した美しく、質の高い美術品のみを展示販売しております。 このメディアで、美術品の深みや知識を発信していきます。
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