明治工芸

後藤一乗の魅力を徹底解説|室町から続く伝統を昇華させた人物とは

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金工という日本の伝統技術の中で、圧倒的な技巧と美意識をもって時代を超えて評価される人物、後藤一乗(ごとういちじょう)。後藤一乗は、室町時代から続く金工の名門・後藤家の流れを汲み、幕末から明治にかけて活躍しました。

刀装具や彫金、象嵌など多彩な技術を駆使して、見る者を圧倒する作品を数多く残したことで知られています。

「後藤一乗はどんな人物なの?」
「後藤一乗の代表作を知りたい」

後藤一乗に興味を持っている方は、上記のような情報を求めているでしょう。

そこで本記事では、後藤一乗とは何者か、彼の生涯や作品の特徴、代表作を徹底的に解説します。金工品に興味を持ち始めた方から、作家を目指す方まで、ぜひ参考にしてください。

後藤一乗(ごとういちじょう)とは

後藤一乗(ごとういちじょう)は、寛政3年(1791年)に京都の後藤家分家・七郎右衛門家に生まれた、日本を代表する金工師です。室町時代から続く名門・後藤家の流れを汲みながらも、その卓越した技術と芸術性で幕末から明治にかけて独自の地位を築きました。

後藤一乗は刀装、具をはじめとした工芸作品の制作において、朝廷や幕府から厚い信頼を得ていました。孝明天皇や徳川家定への献上品の制作を任されるなど、公式な場でも活躍しています。

また、金・銀・赤銅・象嵌などを駆使した高度な技法だけでなく、柔軟な表現力を持ち、伝統と革新を融合させた作品を多く残しました。明治9年(1876年)、廃刀令が出された年に京都で没し、その生涯を閉じました。

しかし、後藤一乗の作品と名声は今もなお、日本の美術史において輝きを放ち続けています。

室町時代から続く金工の後藤家とは

後藤家は、室町時代の足利義政の時代に活躍した祐乗(ゆうじょう)を始祖とする名門金工一族です。以後、十七代にわたり日本の金工界を牽引し、足利・豊臣・徳川といった歴代の政権と深く関わりながら、多くの分家を輩出しました。

なかでも、宗家五代・徳乗の弟である長乗を起点とする後藤勘兵衛家は、注目すべき分家の一つです。この勘兵衛家の二代目・覚乗(かくじょう)は、優れた刀装具の制作技術を持ち、加賀藩主・前田利常に招かれたほどの実力者でした。

その後、従兄弟の顕乗(けんじょう)と共に隔年で金沢と京都を行き来し「加賀後藤」と呼ばれる金工流派の基礎を築きました。後藤家の歴史は、単なる家系の物語にとどまらず、日本の工芸美術における系譜と文化の伝承を示しています。

後藤一乗の代表的な金工作品5選

ここからは、後藤一乗の代表的な金工作品を5つにまとめて紹介します。

梨地桐竹鳳凰文蒔絵宝剣(なしじきりたけほうおうもんまきえのほうけん)

出典:文化遺産オンライン

「梨地桐竹鳳凰文蒔絵宝剣」は、幕末の名工・後藤一乗が手がけた金工作品の代表例です。文久3年(1863年)に尾張徳川家が孝明天皇へ献上した刀剣の拵(こしらえ)として、翌年に制作されました。

鞘には、天皇の装束に使用される桐竹鳳凰や麒麟の文様が、豪華な梨地蒔絵で施されています。後藤一乗は、その金具部分を担当し、格式と美術性を兼ね備えた優美な装飾を実現しました。

本作は、皇室と幕府の権威を象徴する逸品であり、一乗の技術力と芸術性を如実に物語る作品です。

沃懸地鳳凰蒔絵小脇指(いかけじほうおうまきえのこわきざし)

出典:文化遺産オンライン

「沃懸地鳳凰蒔絵小脇指」は、江戸時代後期に制作された精緻な装飾小脇指で、後藤一乗の花押が刻まれた貴重な一作です。鞘と柄には、鳳凰や干支の動物が蒔絵や彫金で描かれ、縁、笄、小柄など細部に至るまで美術工芸としての完成度の高さがうかがえます。

とくに干支十二支の動物表現は、当時の吉祥文様や象徴性を反映しており、後藤一乗の高度な技術と遊び心が融合しています。装飾性と実用性を兼ね備えた刀装具の逸品であり、後藤一乗が法眼に叙された後も名工として活躍し続けた証として高く評価されています。

禅語笄・祝言小柄(ぜんごこうがい・しゅうげんこづか)

「禅語笄・祝言小柄」は、後藤一乗が手がけた笄(こうがい)と小柄(こづか)の対作品です。笄には禅語「無事是貴人」、小柄には祝言の言葉「めでたくかしく」が刻まれており、裏面には「後藤法眼/一乗作」の銘が確認できます。

素材には銀の合金「四分一(しぶいち)」が用いられ、赤銅を象嵌して、毛筆で書かれたような柔らかな筆跡を巧みに表現しているのが特徴です。後藤一乗の高度な技術力と文化的素養を感じさせる逸品であり、単なる装飾品にとどまらない深い味わいをもっています。

黒檀地花鳥蒔絵螺鈿脇指(こくたんじかちょうまきえらでんわきざし)

出典:文化遺産オンライン

「黒檀地花鳥蒔絵螺鈿脇指」は、富貴と長寿を象徴する孔雀や牡丹、鶏や菊といった吉祥文様が描かれた美麗な脇指です。漆芸と螺鈿細工が施された鞘には、福岡藩士・中野一跡による蒔絵が用いられ、金具部分は後藤一乗が手がけたとされています。

一乗は高肉彫による繊細な装飾を加え、金無垢や螺鈿を融合させることで、他に類を見ない豪華かつ気品ある仕上がりを実現しました。漆と金工、両分野の高度な技術が融合した本作は、後藤一乗の革新的な表現力と職人技の高さを体現する逸品といえるでしょう。

紫檀地花鳥文蒔絵螺鈿太刀(しだんじかちょうもんまきえらでんたち)

出典:東京国立博物館

「紫檀地花鳥文蒔絵螺鈿太刀」は、幕末に制作された華麗な拵(こしらえ)の太刀で、装飾には蒔絵と螺鈿細工が施されています。文久3年(1863年)に14代将軍・徳川家茂が上洛した際、朝廷への献上刀として製作されたものです。

鞘には紫檀地に花鳥文が描かれ、気品と豪華さを兼ね備えています。金具は後藤一乗が担当しており、精緻な金工細工とともに、格式高い装飾美を体現しています。

幕末という時代背景の中で、技術と美意識の粋を極めた一振りとして高く評価されている作品です。

後藤一乗の歴史・年表

ここでは、後藤一乗の生涯の主な出来事を年表形式で紹介します。

年代出来事
1791年(寛政3年)京都・室町頭木下町にて、後藤家七郎右衛門重乗の次男として生まれる。
幼名は栄次郎。母は二条家家臣・野間氏の出身。
1799年(寛政11年)9歳で京後藤家分家・八郎兵衛謙乗の養子となる。
1801年(寛政13年)11歳で半左衛門亀乗に師事し、金工技術の修行を開始。
1805年(文化2年)「光行」と改名。
宗家から大判の墨書改や分銅制作を任される。
1811年(文化8年)15歳で謙乗が死去、家督を継ぎ「光貨」と名乗る。
1820年頃(文政3年)「光代」と改名。宗家の加役として業務を分担。実力を高く評価される。
1824年(文政7年)光格天皇佩用の正宗刀の装具を制作。
1825年(文政8年)装具制作の功績で「法橋」に叙せられ、「一乗光代」と名乗る。
1851年(嘉永4年)江戸幕府に招かれ、10人扶持を受けて江戸に下る。
幕府の御用を務める。
1855年(安政2年)第13代将軍・徳川家定にお目見えを果たす。
1862年(文久2年)朝廷の命により京都へ戻り、孝明天皇の御剣金具を制作。
1863年(文久3年)「法眼」に叙せられる。
1866年(慶応2年)幕府の御用職を子・光伸に譲る。
1868年(明治元年)朝廷より年米10俵の下賜を受ける。維新後は京都府知事から「勧業場御用掛」に任命される。
1876年(明治9年)10月17日、京都にて逝去。享年86。奇しくもこの年に「廃刀令」が発布される。

後藤一乗は、江戸時代後期から明治初期にかけて活躍した、日本金工史における重要人物です。寛政3年(1791年)に京都の後藤家分家に生まれ、幼少よりその才能を見込まれ養子として別家に引き取られ、名匠・半左衛門亀乗に師事。

早くから家督を継ぎ、宗家の重要な仕事を代行するなど、若くして技術と信頼を得ていました。やがて朝廷や幕府の御用金工として活動し、孝明天皇や徳川将軍家の装剣具制作も手がけ、その功績により「法橋」および「法眼」の称号を得ます。

後年は息子へ職務を譲りながらも、技術指導や工房経営に尽力し、多くの後進を育てました。彼の没年である明治9年(1876年)は奇しくも廃刀令の年でもあり、まさに時代の転換点を象徴する人物といえるでしょう。

後藤一乗が作る金工作品の特徴2選

ここでは、後藤一乗が作る金工作品の特徴を2つにまとめて紹介します。

特徴①:室町時代から続く伝統技術

後藤一乗の作品には、室町時代から受け継がれてきた日本の伝統金工技術が生きています。特に鍛金・彫金・象嵌・色絵金工といった複数の技法を自在に使い分ける卓越した技術力が特徴です。

なかでも、象嵌(ぞうがん)は、一乗の真骨頂ともいえる技法です。金・銀・銅・赤銅・四分一(しぶいち)といった異なる金属を緻密に嵌め込むことで、繊細な質感と色彩のコントラストを巧みに表現しています。

これにより、一乗の作品は視覚的な美しさと技術的完成度を兼ね備え、装飾美術としても非常に高い評価を受けています。彼の手がけた刀装具や装飾品は、単なる道具ではなく、日本工芸の粋を示す芸術作品といえるでしょう。

特徴②:家柄に捉われない自由な作風

後藤一乗は、伝統ある後藤家の当主として高度な金工技術を受け継ぎながらも、絵画・和歌・俳諧といった文化にも通じた教養人でした。そのため、後藤一乗の作風には、格式を重んじつつも、雅趣と創造性が感じられる独特の魅力があります。

幕末〜明治期の名金工・加納夏雄も「後藤一乗は本家をも圧倒する技量と評価を得た」と賞賛しています。また、後藤家では使用が制限されていた鉄地による鍔(つば)の制作にも挑戦。

「伯応」や「夢竜」などの別号を用いて自由な制作を行っていたことも知られています。伝統に根ざしながらも自らの表現を貫いたその姿勢は、一乗の革新性と職人魂を物語っています。

後藤一乗の作品を見られる美術館

後藤一乗の金工作品を実際に鑑賞できる美術館としては、下記の3つがあります。

  • 東京国立博物館
  • 静嘉堂文庫美術館
  • 黒川古文化研究所

後藤一乗の優れた金工作品は、現在でも日本各地の美術館で鑑賞することができます。なかでも代表的なのが、東京・上野にある『東京国立博物館』です。

東京国立博物館には、幕末〜明治期の工芸品を多く所蔵しており、一乗の精緻な金具や刀装具に触れることが可能です。また、東京・世田谷の『静嘉堂文庫美術館』でも、蒔絵や象嵌を用いた装飾作品が収蔵されています。

さらに、兵庫県にある【黒川古文化研究所】は、金工を含む古美術全般に力を入れており、一乗作品の鑑賞機会もあります。これらの施設では、一乗の技巧や美意識を実際に目にしながら、日本の伝統工芸の深さに触れることができます。

銀座真生堂では明治期の作品を取り扱っています

銀座真生堂では、後藤一乗の作品と同じ時代に作られた明治の工芸品「七宝焼」を取り扱っております。七宝焼は美しい模様や色彩が表現された、現代の技術では再現できないとされる超絶技巧品です。

銀座真生堂は、唯一の明治期の七宝焼専門店として常時、並河靖之、濤川惣助など名工の作品を保有できています。美術館などでガラス越しにしか見ることが出来なかった並河靖之、濤川惣助の作品を実際にお手に取って鑑賞、ご購入出来る唯一のギャラリーです。

また、銀座真生堂では所有している作品を美術館での展覧会などへ貸出すなど文化活動も行なっております。ご興味のある方は、気軽にお問い合わせください。

まとめ

後藤一乗は、室町時代から続く後藤家の伝統を受け継ぎながらも、個性と革新性をもって独自の美を追求した金工家です。鍛金や彫金、象嵌などの高度な技法を駆使し、幕末から明治にかけて朝廷や幕府からも高く評価される作品を数多く生み出しました。

その作風は伝統にとどまらず、芸術的かつ詩的であり、現代でも多くの人々を魅了し続けています。この記事では、後藤一乗の生涯や代表作品、技術的特徴、そして作品を鑑賞できる美術館情報まで網羅的にご紹介しました。

金工作品に興味を持ち始めた方は、後藤一乗の作品を実際に鑑賞し、その技と精神に触れてみてください。

執筆者
銀座真生堂
銀座真生堂
メディア編集部
七宝焼・浮世絵をメインに古美術品から現代アートまで取り扱っております。 どんな作品でも取り扱うのではなく私の目で厳選した美しく、質の高い美術品のみを展示販売しております。 このメディアで、美術品の深みや知識を発信していきます。
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