七宝(七宝焼)

高村光雲とは?明治の彫刻家として名を馳せた作家について紹介

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高村光雲(たかむら こううん)は、明治時代の日本で近代彫刻の発展を牽引した木彫家です。ヨーロッパの写実表現を積極的に取り入れ、衰退しかけていた木彫技術を近代に繋げる重要な役割を果たしました。

高村光雲は、伝統と革新を両立させた日本彫刻の先駆者といっても過言ではありません。

  • 「高村光雲の作品ってどんなものがある?」
  • 「高村光雲の歴史や年表を知りたい!」
  • 「高村光雲の作品が見れる美術館はどこ?」

この記事をご覧になっている方のなかには、上記のような情報を知りたい方も多いでしょう。

そこで本記事では、高村光雲の人物像や代表作から作品の特徴を紐解いていきます。あわせて、年表を用いて高村光雲の生涯を深ぼって行くため、ぜひ参考にしてください。

高村光雲とはどんな人物?

出典元:国立国会図書館

高村光雲は江戸の下谷に生まれ、明治から昭和初期にかけて活躍した彫刻家です。幼少より仏師を志し、12歳で高村東雲に弟子入りして木彫を学びました。

明治維新後は西洋彫刻の影響を受けながらも、日本固有の写実表現を取り入れた作風を確立しています。1877年には仏師として制作した『白衣観音』で第一回内国勧業博覧会の最高賞・竜紋賞を受賞し、一躍名を知られるようになりました。

また、上野公園の西郷隆盛像や皇居外苑の楠木正成像の制作主任を務めるなど 、公共のモニュメント制作にも携わっています。高村光雲は、息子に詩人で彫刻家の高村光太郎を持つことでも知られ 、親子二代にわたり日本の芸術史に名を残しました。

次の記事では、高村光太郎についても触れているので、興味ある方は参考にしてください。

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高村光雲の代表的な4つの作品

高村光雲は数多くの彫刻作品を残していますが、なかでも特に有名な4作品について紹介します。

  1. 老猿(ろうえん)
  2. 聖徳太子立像(しょうとくたいしりゅうぞう)
  3. 矮鶏置物(ちゃぼおきもの)

老猿(ろうえん)

老猿は、高村光雲の最も代表とされる作品です。1893年にシカゴ万国博覧会に出品され、現在は東京国立博物館に重要文化財として収蔵されています。

高さ約108.5cmにもなる迫力ある木彫で、岩の上に腰掛けた年老いた猿が上空を睨みつけている場面を表現しています。

猿の左手には大鷲の羽根が数本握られ、周囲にも羽毛が舞っているのが特徴です。つい先ほどまで猿と鷲が死闘を繰り広げていたことを巧みに表現しています。

その表情や毛並みの描写は驚くほど繊細で、木材とは思えないリアルさを持ちます。写実性と迫力を兼ね備えた本作は、日本彫刻の到達点とも言える作品です。

聖徳太子立像(しょうとくたいしりゅうぞう)

聖徳太子立像は、16歳の聖徳太子が柄香炉を持ち、真っ直ぐ前を見た立ち姿を木彫にした作品です。また、聖徳太子は眉を吊り上げ、伏し目がちに厳しい表情を浮かべています。

この作品は江戸の仏師の技術を継承した高村光雲が、明治以降の写実主義を取り入れ、聖徳太子の柔らかい表情を彫り出しました。

皇室や国家の象徴として制作されたもので、単なる宗教的彫像ではなく、近代日本における伝統と革新の結晶といえる重要な作品です。

矮鶏置物(ちゃぼおきもの)

出典元:皇居三の丸尚蔵館

矮鶏置物は、雄雌一対のニワトリを題材とした木彫作品です。光雲は制作にあたり実物の矮鶏を入手・観察をし、その羽毛の一本一本や鶏冠の質感まで再現しています。

また、目には仏像彫刻で用いるガラス製の瞳を嵌め込む技法を取り入れ、生きた鳥の生命感を表現しています。西洋美術の写実性も取り入れているため、光雲の数ある鳥獣彫刻の中でも最も完成度が高い作品の一つです。

矮鶏置物は現在、宮内庁三の丸尚蔵館に保管されており、一般には公開されていません。そのため、展示の機会は限られますが、矮鶏置物は実物を見る者に明治木彫の妙技と美しさを鑑賞できます。

高村光雲の歴史・年表

高村光雲の生涯を、年代順に主要な出来事を年表で紹介します。

年代詳細
1852年江戸・下谷(現在の東京都台東区)に町人・中島家の次男として生まれる
1863年11歳で仏師・高村東雲の門下に入り、本格的に木彫修行を開始
1874年師・東雲から光雲の雅号を授かり、東雲の姉の養子となって姓を高村に改める
1877年白衣観音を第一回内国勧業博覧会に出品し、一等賞の竜紋賞を受賞
1887年皇居造営に際し、内装彫刻の一部を担当
1889年現在の東京藝術大学彫刻科の教導に就任。同年、矮鶏置物を制作し、美術協会展で金賞を受賞
1893年老猿をシカゴ万国博覧会に出品し、妙技二等賞を受賞
1897年上野公園に西郷隆盛像を建立
1900年山霊訶護をパリ万国博覧会に出品
1919年帝国美術院(現・日本芸術院)の会員に推挙される
1926年東京美術学校の名誉教授となる
1934年東京市本郷区駒込の自宅にて死去享年83歳

高村光雲が彫刻家として大成するまで

高村光雲が仏師見習いから日本を代表する彫刻家へと成長していった過程には、重要な転機と努力の積み重ねがありました。

光雲は幼くして仏師・高村東雲に弟子入りし、伝統的な仏像彫刻の厳しい修行を積んでいます。明治維新後、仏師の仕事は激減しますが、その中でも光雲は木彫りを続けていました。

光雲が木彫りを続ける中、同じ下谷出身で同年代の象牙彫刻の名工・石川光明との出会いで衝撃を受けます。高村光雲と石川光明は意気投合し、1881年に結成された日本美術協会に石川の勧めで入会します。

また、光明との縁で皇居造営の彫刻にも抜擢され『木彫の第一人者』として広く認識されるようになりました。石川光明との出会いは彫刻家として大成する光雲のきっかけとなりました。

高村光雲の作品にみられる特徴2選

高村光雲の彫刻作品には、彼ならではの優れた特徴が2つもあります。

  1. 写実主義を取り入れた木彫技術
  2. モチーフを深く観察した表現

1. 写実主義を取り入れた木彫技術

光雲の作品最大の特徴の一つは、従来の日本木彫に西洋の写実主義を融合させた点です。師匠譲りの高度な彫刻技術を持ちながら、明治期に流入した西洋美術の解剖学的な知識や質感表現を貪欲に吸収しました。

例えば『老猿』の毛並みや筋肉の表現は顕著で、従来の木彫には見られないリアルさが備わっています。また『矮鶏置物』の羽毛一本一本に至る細密な再現や仏像彫刻の伝統技法を応用する工夫にも、光雲のこだわりが表れています。

木は石や金属に比べ、自由な形態表現が難しい面もありますが、光雲は卓越したノミ捌きで硬い木から柔らかな毛皮や肌の質感を生み出しました。

そのため、光雲の彫刻はまるで命が宿っているかのような生々しさを持っています。

2. モチーフを深く観察した表現

もう一つの大きな特徴は、モチーフの徹底した観察に基づく表現力です。作品制作にあたっては必ず実物のモデルを用意し、形態や動きをスケッチしたり飼育したりしながら彫り進めたといいます。

例えば『矮鶏置物』を制作する際には自ら理想的な矮鶏を探し出して飼育し、日々その姿態を観察しました。2年もの歳月をかけて矮鶏のクセや特徴を把握した上で彫り上げたからこそ、あれほど生き生きとした鶏の彫刻が完成したのです。

同様に『老猿』でも、実際の猿の骨格や筋肉の動きを研究し、凄みのある表情を生み出しています。このように、深い観察に裏打ちされた表現力は光雲作品の大きな魅力であり、当時の他の作家にはない独自性を生んでいます。

高村光雲に関わりのある作家たち

高村光雲は自身が優れた彫刻家であるだけでなく、多くの弟子を育て日本彫刻界の発展に貢献しました

例えば、山崎朝雲や米原雲海、平櫛田中は、高村光雲ゆずりの木彫技術を受け継ぎつつ、各自の作風を発展させ、大正から昭和期に彫刻界を支えました。

なかでも、平櫛田中は東京藝術大学平櫛田中彫刻美術館に多数の作品を残すなど、その技を次代へ伝えています。光雲の薫陶を受けた弟子たちの活躍により、日本の木彫伝統は途切れることなく近代から現代へと継承されました。

高村光雲の作品を見られる美術館・展示場所

高村光雲の作品は現在、主に以下のような美術館や公共の場で鑑賞することができます。

  • 東京国立博物館
  • 宮内庁 三の丸尚蔵館
  • 上野恩賜公園
  • 皇居外苑
  • 東京藝術大学大学美術館

上記の美術館や展示場所では、高村光雲の『老猿』や『矮鶏置物』などを鑑賞することができます。常設展示は行っておらず、年に数回の特別展で公開されています。皇室ゆかりの名品として大切に保管されているため、展示の折には貴重な鑑賞機会です。

また、上野恩賜公園や皇居外苑では、高村光雲手動で制作された西郷隆盛像や楠木正成像が建てられています。これらのブロンズ像からは、光雲の木彫とはまた違ったスケールの大きな表現を感じることができるでしょう。

さらに、光雲が教授を務めた東京藝術大学大学美術館では、光雲作の『聖徳太子坐像』などを所蔵しています。常設展示はしていませんが、特別展で展示されることがあります。

高村光雲の世界観をぜひ、現地に行って体感してみましょう。

銀座真生堂では明治期の作品を取り扱っています

明治時代の美術工芸に興味を持った方は、ぜひ銀座真生堂にもお越しください。銀座真生堂は明治期の七宝焼を専門に取り扱っています。

代表的な取扱作家は、七宝焼で世界的に有名な並河靖之や濤川惣助といった明治工芸の名工たちで、現代では再現不可能とも言われる技法の美しさと価値は高く評価されています。

明治の工芸作品に触れることで、明治という時代の芸術的水準の高さを実感できます。ぜひ一度、銀座真生堂を訪れてみてはいかがでしょうか。

まとめ

高村光雲は、日本の伝統的木彫に革新を起こし、近代彫刻の黎明期を支えた巨匠です。その作品には、素材である木の温もりと写実性が見事に調和しています。

作品に込められた物語や光雲の技術力の高さも感じ取ることができるでしょう。それこそが、高村光雲の彫刻が今も尚、惹きつける最大の魅力です。

また、高村光雲の作品は美術市場においても高い価値が認められています。国の重要文化財に指定された作品は文化遺産として保管されていますが、光雲の小品や試作品などは、希少性からコレクターに人気です。

高村光雲の作品に触れることで、日本の近代彫刻の歴史と魅力が見えてきます。ぜひ彼の残した彫刻の数々に触れ、その芸術世界を堪能してみてください。

執筆者
銀座真生堂
銀座真生堂
メディア編集部
七宝焼・浮世絵をメインに古美術品から現代アートまで取り扱っております。 どんな作品でも取り扱うのではなく私の目で厳選した美しく、質の高い美術品のみを展示販売しております。 このメディアで、美術品の深みや知識を発信していきます。
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