明治工芸

日本における漆・漆器の歴史とは?世界における漆器の歴史まで紹介

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漆器は、縄文時代から現在まで使われ続けている日本の工芸品です。どの時代にも存在し、日本の文化ともいわれています。

海外においても漆器は有名であり、たくさんの人に愛され、認められています。そんな漆器ですが、どのような変遷をたどってきたのでしょうか。

  • 漆器の歴史をくわしく知りたい
  • 海外で漆器はどのように扱われてきたのか知りたい

今回は、そんな漆器に興味がある方へ向けて、漆器の歴史を解説していきます。あわせて、漆器の歴史的名品についても紹介しますので、ぜひ参考にしてみてください。

漆・漆器とは?

漆とは、漆の木から採取できる乳白色の樹液をろ過し、精製したものをいいます。精製する前の樹液は生漆と呼ばれ、樹液は樹皮を傷つけて採取されます。アジア圏のみに生息し、精製した漆は接着剤として使用されていました。

一方で漆器とは、簡単にいうと漆をまとった器物のことです。木や紙などに漆を何層も重ねて塗るため、傷に強く、耐熱性にも優れています。漆器といってもすべて器の形状をしているわけではなく、漆が塗られた漆工品であれば箸入れや棚なども漆器に含まれます。

漆の歴史

ここからは、漆の歴史について紹介します。

  • 世界で一番古い漆製品
  • 縄文時代に発掘された漆製品
  • 漆が発掘された時代から現代までの漆の使われ方の変化の歴史

それぞれ詳しく解説します。

世界最古の漆

世界最古の漆は、1984年に福井県の鳥浜貝塚で見つかった漆の木片です。これは約12,600年前のものとされています。また、同じ貝塚では朱漆で塗られた「赤色漆塗り櫛」や、漆を使った石器も見つかっています。

実はこの漆の破片が発見されるまでは、漆の原産地が中国ではないかと推測されていました。しかし、この発見に伴い、漆や漆器は日本で生まれたのではないかという説が有力になってきています。

そのため、漆文化がどの国で生まれたのかはいまだにはっきりしていません。

縄文時代の漆製品

縄文時代の漆製品は、さまざまな種類が存在します。例えば、お椀やお皿、土器、農耕具などの日常生活で使われるものや、弓などの武器、櫛などの装飾品などです。

漆製品や漆で補修された土器が多く見つかっていることから、縄文時代の時点で漆文化が大きく発展していたことが分かります。

また、縄文時代の漆器には赤く塗られているものがあったり、赤色顔料も見つかっています。この赤色は、「魔除け」や「隆盛」を意味していたり、純粋に美しさを加えるために使われていたのではないかといわれています。

最古の漆が見つかった鳥浜貝塚でも朱漆塗の漆器が見つかっていることから、昔の人にとって赤は特別で重要な色だったのでしょう。

漆の使い方の歴史

漆ははじめ、日常的に使われる器を作ったり、壊れた器を修復するための接着剤としての役割として使用されるのが主流でした。

それが飛鳥・奈良時代になると仏具や寺院などに多く使われるようになりました。代表的な漆工品としては、法隆寺の国宝「玉虫厨子」などがあげられます。玉虫厨子は木造ですが、全面に漆が塗られているのです。

また、中国から高度な技巧が伝わってくると「漆胡瓶」や「螺鈿紫檀五絃琵琶」など、華麗な装飾が施された漆工品も登場します。漆を塗ると丈夫になりますが、絵付けをしたり塗り方を工夫することで、漆で美しさを出すこともできるようになったのです。

出典元:文化遺産オンライン

このように、漆は日常的に必要な器や修復としての役割から、華麗な装飾としての役割まで、幅広い範囲を担うようになりました。

漆器の歴史

続いて、漆器の歴史について詳しく紹介します。

  • 世界で一番古いとされる漆器
  • 漆器産業が栄えた鎌倉・室町時代
  • 漆塗りが栄えた江戸時代
  • 輸出でさらに発展した明治時代

時代に分けて、漆器がたどった歴史を解説します。

世界最古の漆器

世界最古の漆製品とされているのが、約9,000年前に北海道函館市南茅部地区で発掘された漆の副葬品です。この副葬品は死者の衣服であり、朱漆塗の糸で加工された装飾が施されていました。

もともと世界最古の漆製品は約7,000年前に中国で発掘されたものとされていました。しかし、平成12年に行われた垣ノ島B遺跡の調査でこの副葬品が発掘され、歴史が覆ったのです。

ところが、それらの漆器は8万点に及ぶ出土文化財などとともに、2002年12月28日の深夜に火災にあってしまいました。一部消失したものの、形や繊維状の痕跡はしっかりと残っています。

漆器産業が栄えた鎌倉・室町時代

鎌倉・室町時代では漆器産業が栄え、貴族や武士を中心に漆器が使われるようになりました。例えば、貴族の日常生活の中で使う器や、武士が使う武具などが代表的です。

また、僧侶らが日常的に使う漆器に「根来塗」が施されたのもこの時代です。根来塗とは根来寺で作られた漆器で、黒漆の上に朱漆が塗られています。

二重で塗られているため、使っていくと摩擦で朱塗が剥がれ、黒漆が露出することで器の美しさが増します。その他にも、カツラやイチョウの木で作った器に文様を掘り、漆を塗った「鎌倉彫」が生まれたり、蒔絵紛の開発が進んだりしました。

このことから、鎌倉・室町時代では漆製品に関するほとんどの技法が確立していたと考えられています。

漆塗りが栄えた江戸時代

江戸時代には漆塗りが栄え、全国のさまざまな産地による漆器が生まれました。有名なものには、日本三大漆器である石川県の輪島塗や福島県の会津塗、バカ塗で知られる青森県の津軽塗などがあります。

その他にもさまざまな漆製品が登場し、家具や馬具などにも漆が塗られていました。

また、江戸時代は武士階級の装身具である印籠が流行りました。印籠は薬入れ等の小箱として使われていましたが、蒔絵を施した品が流行り、武士の間で一種のおしゃれとして楽しまれました。

様々な柄があり、季節ごとに身に着ける印籠を変えるなどの楽しみ方もあったようです。

輸出でさらに発展した明治時代

明治時代になると、輸出用の漆器が作られるようになりました。明治維新で漆器は少し衰退したものの、万国博覧会へ出展したことで工芸品として高く評価され、再び盛り上がりを見せました。

明治11年に開催されたパリ万国博覧会では津軽塗が出品され、青海源兵衛と小田切勇馬が賞状を受賞しています。これ以後の万国博覧会でも多くの日本人が受賞しており、日本の漆器が高く評価されていることがわかります。

明治時期の漆器は、メトロポリタン美術館や大英博物館などの有名な美術館にも収められています。

高価な漆器が庶民へ広がった歴史

漆器は比較的高価なものであったため、基本的に日常生活で使用するのは貴族ばかりでした。庶民にとって漆器は簡単に手に入るものではなく、同じ共同体の中で漆器を共有し合う時期もあったようです。

漆器が貴族にしか使えないほど高価だったのは、漆を使ってしっかり手間と時間をかけて作られていたからでした。しかし、貴族しか買えなかった漆器が中世のころから庶民の手に届く価格で売られ始めました。

渋柿や膠の下地に漆を1、2回だけ塗る漆器を作ったことで、手間暇が簡略化され、庶民でも購入できる価格になったのです。日本三大漆器のひとつ「紀州漆器」がその代表です。

シンプルな工程ですが、しっかり丈夫な仕上がりになります。こうして漆器は貴族や武士だけでなく、さまざまな人へ広がっていきました。

海外での漆器の歴史

漆器は日本の代表的な文化として認められ、世界も魅了してきました。

そもそも海外で漆器が広まったのは、16世紀後半に日本に渡ったイエズス会の宣教師たちがきっかけです。イエズス会の宣教師たちは宗教道具用の漆器や、蒔絵や螺鈿などの装飾を施した輸出漆器を作るよう依頼するようになります。

その漆器はキリスト教の儀式に使われたり、世界に広められました。その後日本が鎖国をしたことで漆器の輸出が難しくなり、世界で漆器の価格が高騰しました。

そこで外国人は「ジャパニング」と呼ばれる技法を使って、庶民でも買える価格の模倣品を作り始めるようになります。日本が開国すると再び漆器が輸出されはじめ、漆器文化が再び広がっていきました。

漆が使われた歴史的名品

漆で作られた歴史的名品には、さまざまなものがあります。例えば、金閣寺や阿修羅像、金色堂などの建造物・仏像です。

金閣寺は金箔で装飾されており、一見漆塗がされているようには見えませんが、実は金箔の下は漆黒の漆塗になっています。金閣寺が劣化した際の修復作業にも漆が使われており、その量は約1.5トンにも及んだそうです。

金閣寺は漆によって丈夫さを保っているといっても過言ではありません。

また、奈良の興福寺にある阿修羅像は、「乾漆」という麻布と漆のみを使った技法を用いて作られています。乾漆は粘土のような生地なので、乾いたときにひび割れないよう、高純度の漆を使っていたそうです。

このように、漆は歴史的建造物や仏像などとも密接に関わり、現存するための一助となっています。

銀座真生堂では明治工芸品を取り扱っております

銀座真生堂では、漆器が海外に輸出されていた時期と同じ時期に数多く輸出された明治工芸品「七宝焼」を取り扱っております。七宝焼は美しい模様や色彩が表現された、現代の技術では再現できないとされる超絶技巧品です。

銀座真生堂は、唯一の明治期の七宝焼専門店として常時、並河靖之、濤川惣助など名工の作品を保有できています。美術館などでガラス越しにしか見ることが出来なかった並河靖之、濤川惣助の作品を実際にお手に取って鑑賞、ご購入出来る唯一のギャラリーです。

また、銀座真生堂では所有している作品を美術館での展覧会などへ貸出すなど文化活動も行なっております。ご興味のある方は、気軽にお問い合わせください。

まとめ

本記事では、日本の代表的な工芸品である漆・漆器の歴史や、海外でどのように漆器が広まったのかを解説しました。漆器は縄文時代に生まれ、発展と減退を繰り返しながらもさまざまな技法を残して、現代も世界中で愛されています。

漆器は日本だけでなく海外の大きな美術館でも展示されているので、興味のある方はぜひ一度行ってみてはいかがでしょうか。

また、以下の記事では明治工芸について詳しく解説しているため、あわせて参考にしてください。本記事があなたのお役に立てることを願っております。

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執筆者
銀座真生堂
銀座真生堂
メディア編集部
七宝焼・浮世絵をメインに古美術品から現代アートまで取り扱っております。 どんな作品でも取り扱うのではなく私の目で厳選した美しく、質の高い美術品のみを展示販売しております。 このメディアで、美術品の深みや知識を発信していきます。
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