明治工芸

彫刻の始まりは飛鳥時代?日本彫刻の歴史を詳しく解説

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彫刻とは、木材や金属・石・象牙といったさまざまな素材を、彫ったり鋳造したりすることで創られる造形芸術のことです。日本を代表する工芸品のひとつであり、日本の文化と歴史に深く関わってきました。

彫刻には、その時代の精神や宗教、哲学が刻み込まれており、作品によって違った魅力があります。ただ、日本で「彫刻」という言葉ができたのは明治からになります。

彫刻はいつから作られるようになったの?
日本における彫刻の歴史が知りたい!

彫刻に興味のある方は、上記のような情報を求めているでしょう。

そこで本記事では、日本における彫刻の歴史を紹介します。あわせて、日本の彫刻の発展に貢献した人物も紹介するので、ぜひ参考にしてください。

日本彫刻の歴史

さっそく、日本における彫刻の歴史をみていきましょう。今回はいくつかの時代に分けて、彫刻の歴史を紹介していきます。

  • 飛鳥時代〜平安時代
  • 室町時代〜鎌倉時代
  • 江戸時代〜明治時代

それぞれ詳しく解説するので、ぜひ参考にしてください。

飛鳥時代〜平安時代

日本で彫刻が作られるようになったのは、飛鳥時代といわれています。飛鳥時代に日本に仏教が伝わったことがきっかけとなり、木彫りの彫刻が作られるようになりました。

平安時代になると、日本全土に仏教が普及し、仏像や建築などにもその土地の独自性が見られるようになります。彫刻の素材としてはクスノキのほか、ヒノキやナツメグなどが多く用いられていました。

室町時代〜鎌倉時代

室町時代になると、仏像を必要としない禅宗が全盛期を迎えます。その結果、仏像彫刻の代わりに社殿や寺院の柱・欄間(らんま)などに装飾を施す建築彫刻が急速に発達しました。

また、日本において彫刻技術が発展したのは鎌倉時代といわれています。鎌倉時代は「日本彫刻のルネサンス」とも呼ばれており、運慶や快慶による「金剛力士像」など、特徴的な彫刻が多く作られました。

江戸時代〜明治時代

江戸時代に入ると、日本でも代表的な彫刻作品として知られる「日光東照宮」が建てられます。徳川家光によって建てられた日光東照宮は、5,000体以上の彫刻で覆われていることで有名です。

明治時代に入ると、西洋文化が伝わったことで新たな技法や素材の彫刻が作られるようになります。一方で伝統的な技法や美意識も受け継がれており、日本の彫刻芸術は進化し続けています。

日本で「彫刻」という考え方が本格的に移入され始めたのは明治30年代ごろのことです。また、その頃には象牙の置物や根付などの工芸品が外国向けの輸出品として注目され、彫刻というジャンルが広く知られるようになりました。

日本彫刻の歴史における有名な人物

ここからは、日本彫刻の歴史における有名な人物を紹介していきます。今回紹介するのは、次の4人です。

  • 高村光太郎(たかむら こうたろう)
  • 荻原守衛(おぎわら もりえ)
  • 中原悌二郎(なかはら ていじろう)
  • 平櫛田中(ひらくしでんちゅう)

それぞれの人物について詳しく解説するので、ぜひ参考にしてください。

高村光太郎(たかむら こうたろう)

高村光太郎は、上野公園の西郷隆盛像で知られる木彫家・高村光雲の長男として生まれました。詩人でありながら、彫刻家でもある人物です。

明治30年に東京美術学校に入学し、彫刻と洋画を学ぶ一方、新詩社に参加して『明星』に短歌を発表しました。明治39年には彫刻修行のため欧米に留学し、大正3年に結婚した後は彫刻に専念していました。

代表作としては、十和田湖畔の裸婦二人像が挙げられます。

荻原守衛(おぎわら もりえ)

荻原守衛は、5人兄弟の末っ子として長野県で生まれました。小山正太郎の不同舎に入門して画家を志していたところ、ロダンの作品に感動して彫刻に転じた人物です。

明治40年に初めてロダンを訪問した守衛は、アトリエでロダンの作品を直に見たり、ロダンから直接教えも受けます。代表作としては、「文覚」や「デスペア」、「女」などが挙げられ、日本における本格的な近代彫刻の導入者とされています。

中原悌二郎(なかはら ていじろう)

中原悌二郎は、明治21年に荒物雑貨卸・小売業を営む中原家の次男として北海道釧路で生まれました。悌二郎は、初めは画家志望であったものの、高村光太郎や荻原守衛との出会いをきっかけに彫刻に転進することになります。

転進後は次第にその作風が認められ、展覧会で入選するようになりました。悌二郎の作った作品は芥川龍之介にも讃えられるほどでした。

代表作としては、「若きカフカス人」 が挙げられます。悌二郎は、 日本の近代彫刻史に欠かすことのできない彫刻家として高い評価を受けています。

平櫛田中(ひらくしでんちゅう)

平櫛田中は明治5年に岡山県で生まれました。青年期に人形師の中谷省古のもとで木彫の手ほどきを受け上京した後、高村光雲の門下生となります。

以後、明治から大正、昭和にかけて彫刻一筋に取り組み、100歳を超えてからも現役の彫刻家として活躍した人物です。田中の代表作は、20年の歳月をかけて完成させた「鏡獅子」が挙げられます。

「鏡獅子」は、現在でも国立劇場に展示されています。

銀座真生堂では明治工芸品を取り扱っております

銀座真生堂では、彫刻と同じ時代に作られた明治の工芸品「七宝焼」を取り扱っております。七宝焼は美しい模様や色彩が表現された、現代の技術では再現できないとされる超絶技巧品です。

銀座真生堂は、唯一の明治期の七宝焼専門店として常時、並河靖之、濤川惣助など名工の作品を保有できています。美術館などでガラス越しにしか見ることが出来なかった並河靖之、濤川惣助の作品を実際にお手に取って鑑賞、ご購入出来る唯一のギャラリーです。

また、銀座真生堂では所有している作品を美術館での展覧会などへ貸出すなど文化活動も行なっております。ご興味のある方は、気軽にお問い合わせください。

まとめ

本記事では、日本における彫刻の歴史や、日本の彫刻の発展に貢献した人物について紹介しました。彫刻は飛鳥時代に生まれ、さまざまな彫刻家たちの努力によって現代にまで受け継がれています。

過去の彫刻家たちの作品は美術館などで見ることができるため、興味のある方はぜひ足を運んでみましょう。

また、以下の記事では明治工芸について詳しく解説しているので、あわせて参考にしてください。本記事があなたのお役に立てることを願っております。

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執筆者
銀座真生堂
銀座真生堂
メディア編集部
七宝焼・浮世絵をメインに古美術品から現代アートまで取り扱っております。 どんな作品でも取り扱うのではなく私の目で厳選した美しく、質の高い美術品のみを展示販売しております。 このメディアで、美術品の深みや知識を発信していきます。
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