並河靖之について

並河 靖之(なみかわ やすゆき、弘化2年9月1日(1845年10月1日) – 昭和2年(1927年)5月24日)は、日本の七宝家。明治期の日本を代表する七宝家の一人で、京都を中心に活躍。近代七宝の原点である有線七宝にこだわり続けてこれを極め、東京で活動した無線七宝を得意とするライバルの濤川惣助と共に、二人のナミカワと評されました。

↑この情報やその他、並河靖之に関する情報は本やインターネットなどで調べれば多数出てくるかと思います。

なのでここからは本やインターネットではあまり載っていない、私が並河靖之の作品を扱ってきて得た情報についてお話したいと思います。

並河靖之の七宝焼は日本にあまり残っておりません。それは一体何故なのでしょうか?『それは輸出用に製作されたからでしょ!』と聞こえてきそうです。確かにその通りです。ただそれだけではありません。

並河靖之が活躍していた明治時代の日本はまだ百姓も多く今の時代のように裕福な人はあまりいない時代でした。

ですが当時から並河靖之の作品は美術品として製作されており、ヨーロッパなど外国人に向けて販売されました。当時の国力の差もあり財力的にも日本人では並河の作品を買える人はほとんどいませんでした。輸出向けとはいえ日本に並河靖之の作品がほとんど残っていない理由はそれだと私は思います。

では当時どれくらいの価格だったのでしょう。

今のお金と昔のお金の価値を合わせるのはものすごく難しいことですが、10cmほどの小さな作品でさえ、当時のロンドンのセクレタリー(事務職)の給与1年分に匹敵したとされております。たった10cmの小さな作品でも今の感覚では600万円~1,000万円くらいしていたかもしれませんね。

もっと大きな作品であったり、小さくても更に出来が良ければ、更に高額だったのでしょう。

当時の日本人では手の届く価格ではありませんでした。イギリス人でさえ買える人はそう多くはなかったかと思います。

明治時代に生きた写真家、H・G・ポンティングが並河靖之に会い、作品を見た時のことをこう記されております。

『私が今までに見た最高の品物でさえ、それ(並河作品)に比べると未熟な作品としか思えなかった。』

今でも並河靖之の作品は美しく、人々を魅了し続けています。

当時より遥かに今の方が並河靖之の作品はお求めやすいかと思います。

ですが、取り扱っているお店は殆どありません。

銀座 真生堂では並河靖之の作品は常に数個は所持しております。

是非ご興味がございます方はお店までお立ち寄り下さいませ。

 

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