並河靖之 【七宝の表現】

並河靖之(1845-1927) は京都東山にて、職住一体の「店」と「工場」を構え、この上なき「並河七宝」を技量ある職工たちとこの世に創りだした。

数ある技法の中でも有線技法を究め、光彩ある豊富な色の釉薬と繊細な図柄、独創的な器形が特色で小さな物が多い。

七宝の小宇宙にみる技巧にも魅了されるが、醸し出される雰囲気には品格があり、みる人の心を捉えて離さない不思議な力がある。

七宝は古代の西アジアから派生し日本へは朝鮮半島から近世初期に伝来した。平田道仁 (1591 – 1646)が技を習得するも幕府の御金具師となり技法は相伝され一般には広まらなかった。幕末に尾張の梶常吉 (1803 – 1883)が独力で技法を開発すると庶民による七宝業が興る。明治初期にはドイツ人科学者のゴットフリート・ワグネル(1831 – 1892)が西洋科学の知識を普及し、近代七宝が開花した。

尾張では早くから分業制が確立し、林小傳治 (1831 – 1915)が中心となり充実した産地を形成した。京都の並河七宝では少数精鋭の技量のある職工が腕を揮い、東京の濤川惣助 (1847 -1910)は尾張の技術者と連携しつつも新たな無線技法を創始する。

ことに、靖之と惣助の「二人のナミカワ」は世界を凌駕し、万国博覧会などを通じ日本のものづくりの先進性を世界に知らしめた。七宝業はやきもの業などの在来産業とは異なり生産基盤が整っておらず、それゆえ、経験が無い者にも可能性が開かれ、新たな時代の産業となった。

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