【七宝焼】並河靖之と濤川惣助

古代の西アジアを起源とする七宝。その技法は、幕末から明治時代の日本で大転換を遂げる。渡来した七宝製品を研究した尾張の梶常吉(1803~1883)が、独学で有線七宝の技法を会得したのである。有線七宝とは、器胎に薄く細いリボン状の金属線を貼って文様の輪郭線を作り(植線)、釉薬をさして窯で焼き付けるもの。

これを契機に早くから分業体制が確立された尾張は、林小傳治(1831~1915)らを中心に、一大産地として成長していった。

さらに明治初期には、ドイツ人化学者ゴッドフリート・ワグネル(1831~1892)の指導で改良された釉薬によって鮮やかな色彩表現が可能となり、飛躍的な技術革新を遂げる。

こうした明治時代に七宝業を牽引したのが、ふたりの「ナミカワ」、並河靖之(1845~1927)と濤川惣助(1847 ~ 1910)である。

京都を本拠とした並河靖之は、細密な植線技術、優美な文様表現、洗練された色彩の組み合わせによって、究極の有線七宝を生みだした。透明感に満ちた繊細な並河七宝は、万国博覧会にて受賞を重ね、欧米でも高値で取引されるなど、世界中を魅了した。

一方、東京では濤川惣助が、明治12年(1879)に無線七宝を完成させる。色の境目を区切る金属線を、釉薬をさした後に取り除くこの手法は、色同士の境界が曖昧になるため、絵画の「にじみ」や「ぼかし」のような視覚効果がうまれ、七宝の文様表現に新機軸を打ち立てた。

明治29年(1896)、ふたりはともに、七宝の技術をもって帝室技芸員に任命された。

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