明治期の工芸品を取り巻く当時の政治情勢

明治初頭のごく短い期間に、七宝を含む工芸はその技術的な側面のみならず芸術性においても極めて特異な進化を遂げました。

このことには当時の政治情勢が深く関わっています。

明治政府の側から考えますと、世界にとって日本は開国したばかりの東洋の小さな三流国にすぎませんでした。

その上、明治元年からの10年間は、国内では、戊辰戦争・佐賀の乱・西南戦争と、打ち続く士族の反乱に膨大な戦費を費やし、

莫大な財政赤字を抱えつつ、西欧化・近代化への大きな社会変革を推進していかなければなりませんでした。

そのためにはどうしても外貨を獲得しなければならない必要性に迫られていたわけです。

また、視点を変えて美術工芸の側からみると、美術工芸を生業とする人々は明治維新を境に、

大名や武家、富裕な商人といったそれまでの芸術文化の後援者たちを一挙に失い、大打撃を受けていました。

つまりは武家階級のみならず商人や工人などの武家階級を主な得意先としていた階層にとっては大リストラ時代ともいうべき時代が到来したのです。

折しもヨーロッパではいわゆるジャポニズムが流行し始めていました。

こうした社会情勢の中で、新政府は工芸品の輸出振興政策・産業振興政策を打ち出し、外貨の獲得を目指すとともに、海外での評価を得るためにも、その芸術性の育成をも試みました。

明治政府はその総力を結集し日本の美術工芸品を集め、初めて参加したのがオーストリアでのウィーン万国博覧会で、

そこに出品された緻密かつ壮麗な美術工芸品はヨーロッパの人々を驚かせ、その日本観を変えるきっかけとなりました。

その後、半官半民の貿易会社「起立工商会社」を設立し、そこでの製作品は世界で行われた万博に出品され多くの金賞を獲得し、外貨を稼ぐ主要な輸出品となったのです。

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